リクルートから起業、そしてメドピアへ。目線は常に高く、道は困難な方を選んできた【マネージャー・七久保卓郎】

メドピア 七久保卓郎

2019.7.29

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メンバー紹介

メドピアの事業の要である、製薬企業の医薬品マーケティングを支援するビジネス・ディベロップメント部。そこで営業を担うグループをマネジメントするのが、七久保卓郎です。

新卒でリクルートに入社して10年勤め上げた後、アメリカで起業。その後、日本で再出発する場所に選んだのがメドピアでした。

その熱い人間性で周りを巻き込み、空気を変えていく力をもつ七久保。そのエネルギーの背景には、これまで常に大きな目標を掲げながら、殻を破り続けてきた歴史がありました。

バイオ研究者から一転、経営者になるためにリクルートへ

新卒で入社したのは、リクルートでした。将来経営者になりたいという思いで、選んだ場所です。

メドピア 七久保卓郎

七久保 卓郎(ななくぼ たくろう)
ビジネス・ディベロップメント部
メディカルマーケティンググループ グループリーダー

2006年に東京理科大学大学院卒業後、リクルートに入社。タウンワークの求人広告、ホットペッパーの飲食店広告、関西エリアの営業マネージャーなど、一貫して営業に従事。アメリカでの起業を経て、2018年4月にメドピアに入社し、製薬企業向けのセールス&マーケティングに従事。

元々学生時代は、バイオテクノロジーを研究していました。世界でも最先端を走る日本のバイオテクノロジー研究で、ノーベル賞を取ろうと本気で目指していたんです。しかし、大学院に進んでから「ゲノム敗北」という本を読んだことをきっかけに、いくら日本が技術的に優れていても国家戦略や企業戦略を誤れば世界では戦えない、という危機感が募るようになりました。

そこで、経営の力を身に付け、研究者たちの成功を支える側に回ろうと決意したんです。

そうしてリクルートに入社後、最初に配属されたのは静岡でのタウンワークの広告営業チームでした。1年で全社MVPを取ることを目標に、誰よりもモチベーション高く仕事をしていた自信はありましたが、大学時代研究室にこもっていた私には、営業に必要なコミュニケーションスキルはありませんでした。そのくせ先輩の言うことは聞かずに自己流で突っ走り、結果がまったく出ないという半年間を過ごした結果、ついたあだ名は、「ダメ久保」です。

そんな私を変えてくれたのは、身近にいたトップ営業の先輩や同期です。成果を出す彼らを見ていると、クライアントよりもクライアントのことを考え、求人広告に直結する採用課題だけに留まらずに、人事制度や経営戦略まで踏み込みながら採用ターゲットを具体的に設定し、採用された人が幸せにそこで働けるように考え抜いていました。そんな彼らに学び、クライアントとの向き合い方を変えるうちに、成果を出せるようになっていきました。

営業マン、そして営業マネージャーとして、苦労の末に得た自信

入社して4年が経ち、個人の営業としては成果が出せるようになっていた頃、配属面談で上司に「業績の厳しい組織に行って営業がしたい」と伝えました。どんな環境でも業績の出せるチームを、自分の力でつくりたかったんです。

メドピア 七久保卓郎

そうして異動したのは、金沢でのホットペッパーの広告営業チームでした。当時のチームはベテランが卒業していったタイミングで若手が大半を占めており、新人育成が課題の一つでした。加えて、競合が参入してマーケット環境も厳しくなっていました。

育成にはかなり苦戦しました。最終的には「イルカの調教」にヒントを求めて、調教師の方に水族館までインタビューしに行ったり(笑)。それでも、そんな色々な試行錯誤の末に、2年間でチームの業績がV字回復できたことは、一つの自信になりました。その後は関西法人グループの営業マネージャーにもなりましたが、この金沢の頃に学んだ「リーダーは常に人格が問われる」ということは、今でもずっと意識していることです。

他にも、リクルート在籍中ずっと挑戦していたことがあります。社内での新規事業提案制度「New RING(現、Ring)」には、毎年欠かさずに提案し続けていました。自分にとって、将来経営者になるための訓練でもあったんです。その甲斐あってか、9年目の頃には、新規事業提案の研修を受ける機会をもらいました。そこで考えたのは、当時アメリカで生まれたばかりだったシェアリングビジネスを日本で取り入れる案でした。

最終プレゼンでの評価はあまり良くなかったのですが、その時に伴走してくれたコンサルタントは、「アイデアはいいから、アイデアを実現できるまでに落とし込む戦略が必要だ」とアドバイスをしてくれました。ちょうど入社10年目の節目だったこともあり、一度自分でやってみようと会社を辞め、始めは日本での起業も考えましたが、法規制の問題も多く、UberやAirbnbが成長を遂げていたアメリカで挑戦をするために、単身渡米しました。

2年で軌道に乗せる。家族を残して挑んだシリコンバレーでの起業

ビジネスプログラムに通っていたカリフォルニア大学バークレー校
ビジネスプログラムに通っていたカリフォルニア大学バークレー校

勝負する場所に選んだのはシェアリングエコノミー本場のシリコンバレーです。家族を残してきたため、「2年間でビジネスを立ち上げ軌道に乗せる」ことが家族との約束でした。

起業のためのビジネスプログラムに通いながらアイデアを考え、MEET UPにも参加しながらネットワークをつくっていきました。ここでの経験や出会いは、今後の私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。最終的には、日本人駐在員妻の方々の料理を提供するシェアリングビジネスで、アプリのβ版をつくってスモールスタート。投資家へのプレゼンも行っていましたが、うまく事業モデルを作るところまで至らず、2年が経ちました。

その時期に子どもが病気にかかって入院したことも重なり、日本に一度帰国することを決意しました。残っていればもう少しやれたかもしれないという悔いもありましたが、やはり自分の実力不足だったと思います。そうして家族のためにも帰国し、転職活動をすることになりました。

面接で受けた痛烈なフィードバック。ゼロから事業開発を学ぶためにメドピアへ

メドピア 七久保卓郎

転職先は、日本が世界に誇れる産業で挑戦するベンチャーを軸に探していました。その中でもメドピアを選んだのは、社長の石見が医師であり、医師として思い描いているそのビジョンに共感したからです。医療を変えることが最大のゴールであり、そのためにビジネスという手段を取っている、そんな石見を心から応援したいと思いました。

また、もう1つ大きな理由になったのは、面接を通じてCOOの林から受けたフィードバックです。営業では成果を出してきたものの、起業で成果を出せなかったのは何故なのか。「複雑なことを複雑に考え過ぎている」、「アイデアはあっても、それを具現化するプランニングの研鑽が足りていない」など、自分に足りなかったことを端的に指摘されました。

清々しいくらい率直に、自分に不足していることを指摘してもらい、ここで事業を創ることを一から学び直したいと思いました。これが決め手になり、再出発するつもりでメドピアに飛び込みました。

入社して今は、製薬企業向けのセールス&マーケティング部門で、グループのマネジメントをしています。メドピアの最大の付加価値は、「医師をよく理解している」ことです。MedPeerサイト内に日々投稿される医師会員の声を常々分析しながら、製薬企業が伝えたいことと医師が知りたいことをどうマッチさせるかを考え抜き、提案に落とし込んだ結果、「さすがメドピアさん」と言っていただけると、やはり嬉しいですね。

アメリカではほぼ1人で仕事をしていましたが、やはりチームで仕事をするのはいいなと感じています。ここで出会えた優秀な仲間と、医療業界に変革を起こせるような大きなチャレンジをしていきたいですし、将来的にはもう一度、経営者として世界で挑戦をしたいと思っています。

メドピアでは、セールスポジションを積極的に募集しています

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2019.7.29

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