理念>利益@昔からの日本
2010.02.12
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確かかなり前に、ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則を本ブログで紹介させて頂いたような気がします。

この本から受けたエッセンスは、「理念と利益の最大化」、つまり、理念だけや利益だけを追うのではなく、両者を最大限追求する事が企業のあるべき姿だ、ということでした。

それまで、どうしても頭の片隅で「お金稼ぎは汚いことだ」と考えていた迷いが吹っ切れた本でもありました。理念だけ追求していて、運営を募金に頼っていたり、廃業したりしている団体と、目先の利益だけ追求していて、相手を騙してでもお金儲けをしている団体。

そのどちらも「何か違う」と思っていた時に出会った本でした。
(現在では収載されているいくつかの企業が大変な事になっていますが、エッセンスは変わらないかと・・・)

この本も良かったのですが、さらに一歩進んで腑に落ちた本がありましたのでご紹介します。
あるお世話になっている人に頂いた目に見えない資本主義という本です。
恥ずかしながら弁証法とかはあまり知らなかったのと、共感主義経済、というと少し陳腐な香りがしますのでコメントを控えるとして、この本からもらった一つのエッセンスは、

「昔から日本においては、理念(倫理感)が常に利益とは独立したところにあった」

ということです。

言われてみると当たり前なのですが、日本人は目に見えない価値感・空気感を大事にしてきていて、昨今のCSR(企業の社会的責任)重視の動きとか、実は昔の日本人には普通にあったのですね。渋沢栄一の「右手に算盤、左手に論語」、住友の家訓「浮利を追わず」、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし、三方よし」など。

今まで、「理念と利益の最大化!」と言って少し肩肘張っていた気がしますが、利益は当然上げていくべきだし、その上に超然として、理念を置いておけばいいのですね。

と、書いていて先日面白いtwitterの書き込みがあったので転載しておきます。出典不明です。

—ないから生まれるんだ。 中国人は道徳心が無いから儒教が、日本人は勇気がないから武士道が生まれた。 アングロサクソンはずるいからフェアプレーの精神が生まれた。—

企業倫理に富んだ国だから日本にはCSRの考え方は無かったんですね。

ちょっと言い過ぎ??


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