本質を捉えるということ。
2015.05.29
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私の母方の祖父は、私が小学校六年生の時に胆石で亡くなりました。最後は真っ黄色になって、子供ながらに恐怖を感じたことを覚えています。祖父は確か消化器の外科だったはずなのに、なんで胆石なんかで死んだんだろう、当時はCTが無かったからかな、とずっと思っていましたが、今思えば胆石ではなくて、胆管系の癌だったのかもしれません。
祖父のお葬式の日、伯母は嫌がる私の手を無理やり祖父の顔に近づけ、触れさせました。
「おじいちゃんの最後なんだから、しっかりさよならをしてあげて。」
当たり前ですが、顔に触れるととても冷たくて、人の顔をしているのに体温が無い、ということに私は心から驚きました。
あとから気づいたのですが、これは、医師家系である母方の家系の儀式のようなもので、どなたかが亡くなった際には子供にその冷たさに触れさせて、「死」というものを意識させることになっているようです。
本日は、「本質」の話。最近、「医師の支持」というものについて考えています。
私は医師ですし、医師と常に身近にいたい、医師にとって診療の支援になるようなサービスを提供したい、という想いでこの事業を運営しています。
しかしながら、現状のサービスはそこまで到達しているのか?というと私はまだ階段の一つ目に足をかけたくらいだと思っています。
MedPeerの運営メンバーは毎日必死に「医師のため」に様々な試行錯誤を繰り返しているわけですが、なかなか理想とするところまで辿りつけない、道が見えてきていない気がしています。これは、社長でありプロデューサーである私の責任だと感じているのですが、なかなか答えが見つかりません。
そもそも、医師の支持を求めるということが違うのか?支持、というのは結果であって、我々がコントロールできないことです。
その結果を得るために何をすべきか?どのようなゴールを描くべきか?
本質がわからなくなりそうなとき、私はその問題からあえて距離を置いて、自分の「感覚」に従うこともあります。
今回例に出した、触覚、冷覚をはじめ、自分の「感覚」から問い直してみることは間違いなく本質に近いはずです。
まだゴールは見えないですが、引き続き本質的にサービスを問い続けていきたいし、たくさんの人達とディスカッションしたいと思っています。
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